こんにちは
今日は、完璧主義を手放した時の気持ちだったり、
なぜ完璧主義がなかなか手放せなかったのかを
書いてみようと思います。
なぜ完璧主義がなかなか手放せなかったのかを
書いてみようと思います。
まず、
私がどこから完璧主義をコピーしたかと
言いますと、紛れもなく母からです
親の背中バッチリ見てますからね~笑
私がどこから完璧主義をコピーしたかと
言いますと、紛れもなく母からです
親の背中バッチリ見てますからね~笑
母は、自分のことより家族のために、
父より先に起きて、父より遅く寝て、
お弁当込みの3食手作りで、
私たち娘に出すお菓子も手作りでした。
父より先に起きて、父より遅く寝て、
お弁当込みの3食手作りで、
私たち娘に出すお菓子も手作りでした。
そんな母に育てられた私は、
美味しい料理作れる自慢の母でしたし、
全てをこなす母の事を尊敬していました。
美味しい料理作れる自慢の母でしたし、
全てをこなす母の事を尊敬していました。
いつしか
母のような母になりたい!!
そう思ってました
母のような母になりたい!!
そう思ってました
母の事が大好きで、
母のようにするのが母親像
みたいなのがあり、
母のようにするのが母親像
みたいなのがあり、
息子にも同じことしてやりたい!
と、仕事復帰してからも
母からしてもらったことは
全てやろうとしてました。
母からしてもらったことは
全てやろうとしてました。
無理しなくてもいいとわかっていても
最後の最後まで完璧主義を
気持ち的に手放せなかったのは
最後の最後まで完璧主義を
気持ち的に手放せなかったのは
『完璧主義を手放す事 = 母を否定する』
みたいな感覚があったから。
でも、母と私は違う人間であり、
個性も時代も異なる。
個性も時代も異なる。
そして息子も、違う人間であり
私とは個性も時代も異なる。
私とは個性も時代も異なる。
自他共に異なる存在であり、
何事も変化していくことが当たり前
何事も変化していくことが当たり前
と思えた時に、
受け入れることができた気がします。
受け入れることができた気がします。
私が完璧主義を手放しても私の中にある
母からもらったたくさんの愛情は消えないし、
決して否定するものではない。
母からもらったたくさんの愛情は消えないし、
決して否定するものではない。
母と同じ事を息子に全てはできなくても、
愛情が薄いわけではない。
愛情が薄いわけではない。
そして、私が変わっていくことで
母が完璧主義を少しずつ手放している姿を
見るのが面白いです
母が完璧主義を少しずつ手放している姿を
見るのが面白いです
そもそも!
子育てに必死過ぎた母も私も、
自分達が完璧主義だと気づいてなかった
子育てに必死過ぎた母も私も、
自分達が完璧主義だと気づいてなかった
『気づく』って大切 ←ココかなり重要
気づかないと無意識で自覚がなく!
そして、
気づいたら『認める』ことも大切。
受け入れてないと、
どう変わりたいかもわからない
そして、
気づいたら『認める』ことも大切。
受け入れてないと、
どう変わりたいかもわからない
母はこういうものだ!!!
と枠にはめていることありませんか?
と枠にはめていることありませんか?
それは自分も持っているものです。
母ではなくても、
父でも子供でもパートナーでも同じです。
母ではなくても、
父でも子供でもパートナーでも同じです。
今はこう思っているけど、
『どう自分が思いたいか?』
意図してみて下さいね
『どう自分が思いたいか?』
意図してみて下さいね
思考は現実化しますよ~